銅剣・銅戈

銅剣どうけん銅戈どうか

銅戈(右)・銅剣(左)

所在地
いの町波川
所有者
森本修功
員数
各1
指定日
昭和59(1984)年3月16日
管理
高知県立歴史民俗資料館委託管理

銅戈は、昭和34(1959)年2月、宇治川改修工事中に天神塔の向(伊野町中学校東方約500m)から出土したものです。この時、銅剣も同時に、弥生後期前半の土器に混じって出土しました。ただし、それぞれの出土地点は、5m程度離れていました。両方共1800~2000年以前のもので、いの町の現在までの表見遺品としては最古のものとみられています。

銅戈は、ホコサキの銅製の戈のことです。戈とは武器の一種で両刃の剣に長い柄をつけて鎌のような形(手カギ型)にして敵をひっかけて斬るものですが、このものは日本で儀式用につくられたもののようです。穂先は身幅より広く厚みがなく身の全長34.9㎝です。樋は関より17.2㎝のところまで存在していますが、腐食が甚だしく縞もほとんどみられません。関幅現在8.65㎝で一部が欠損しているだけです。茎は小かつ薄く現在厚さ0.5㎜、最大幅2.15㎝、長さ0.9㎝です。欠損していますが原形は長さがもっとあったものと思われます。青銅さびが全面におおって全体は極めて端平にして脆弱です。

銅剣は、総長38.8㎝、関部幅2.5㎝、上部に漸次幅広くなり、最広部かつまた自然にせまくなって扶状部をつくり、そしてまた幅狭くなるのですが、全般の刃こぼれがひどく、そのような変化は認められない状態になっています。現在の最大幅は3.5㎝、外見上銅質はおとり、鋳上がりはよくないとされています。関上よりやや上に3.2㎜径の形式的な「双孔」があります。茎はやや長く茎端より関部まで2.2㎝、その厚みは1~1.2㎝の楕円形を呈しています。穂先に近く身の残った部分に背の左右の樋があります。


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