絵金の絵馬提燈
絵金の絵馬提燈
- 取材地
- いの町立紙の博物館
- 所有者
- 音竹天満宮
- 員数
- 1
- 指定日
- 昭和46(1971)年2月25日
いの町立紙の博物館にある、絵金の絵馬提燈は、130.0㎝×270.0㎝の大きさで、絵図は義太夫節の曲名“関取二代勝負負付”を描いたものです。
絵金は、本名を弘瀬金蔵(文化9年~明治9年、65歳で没す)、洞意その他数号があり、俗に絵師金蔵、即ち絵金と呼ばれました。高知城下新市町、髪結(木下氏)の子として生まれ、18歳の時、江戸の狩野洞益に師事。3年後に帰郷し、藩絵師となりましたが、本来の性格と筆達者がわざわいしてその身分を離れ、一介の町絵師となりました。
それから彼は、県下中央部各地を回り、紺屋職や各種職人の家を足場に、神社の絵馬や台提燈、さらに、絵芝居、屏風、幟、凧、行燈、押絵などあらゆるものをエネルギッシュに描きつづけました。しかもその独特の作画は奔放・大胆・野性的で、強烈な刺激性が幕末の社会時流に乗り“反逆の画家”とよばれて庶民階層から大喝采を博しました。
この絵馬提燈も、夏祭りの夜、ローソクのゆらめきの中に老若男女の官能をうずかせてやまなかったことでしょう。

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