藤ヶ瀬薬師堂の棟札類

藤ヶ瀬ふじがせ薬師堂やくしどうむな札類ふだるい

所在地
藤ケ瀬
所有者
内田法念
員数
12
指定日
平成8(1996)年5月1日

薬師堂には12枚の棟札類が存在します。うち2枚は本尊薬師如来の新建立・再興(補修)の棟札であり、残り8枚は薬師堂そのものの建立・修復の棟札であり、残り2枚は供養会の棟札と祈祷札です。この12枚の棟札類は、伊野町史のなかでも余り明確ではなかった江戸時代の枝川村の歴史を知り得るものであるため、12枚一括して伊野町の文化財に指定されました。

1.薬師如来新建立・再興の棟札 2枚

薬師如来新建立の棟札の頭部は左右の違いをみせる山形をなし、表中央に次のような墨書があります。

「奉新建立南無薬師如来 寛永三丙 寅吉辰」その左右にそれぞれ一行で脇書をしています。裏に「願主當村惣中」とあり。裾の削りは存しません。

如来再興の棟札は頭部を山形にし、表中央に主題として「更祈奉再興薬師瑠璃光如来 五穀豊登萬民和楽守護祈所」。表脇書で注目すべきは、「宗安寺現住班首座 本願主庄屋楠瀬庄五右衛門 年寄楠瀬勝茂・尾中曽平…」と書かれていることであります。両棟札は寛保元年に同時に作製され、宗安寺現住班首座によって文字が書かれたことは、その文面、筆跡から読み取れます。

薬師如来新建立
(寛永三年)
表(左)と裏(右)

薬師如来同修理
(寛保元年)
表(左)と裏(右)

2.薬師堂建立・修復の棟札 8枚

薬師堂建立の最古の棟札は享保3(1718)年のもので、鋭い山形、山形の裾に四天王をあらわす「●」を入れ、棟札表に「バイ(薬師の種子)奉建立薬師如来堂一宇……」と墨書され、裏に享保3年の紀年を墨書されています。

次に、宝暦13(1763)年の棟札があります。享保3(1718)年から45年ぶりの薬師堂の造立です。

先の宝暦13(1763)年から63年たった文政10(1827)年の薬師堂再建の棟札2枚が存在します。裏には「松平土佐守藤原豊資君公御代」と大書し、一二代山内豊資の時代を明確にしています。この時の棟札は、大工、屋根葺、世話係等を記入するため棟札を2枚としています。この文政10年の薬師堂再興前には、文政5(1822)年の暴風洪水、同7年(1824)の暴風洪水があったので、薬師堂の荒廃はすさまじかったとみられます。

文政10(1827)年から30年たった安政5(1858)年に、また薬師堂が再建されます。

棟札表に「奉再建立薬師如来堂」と大書し、裏には「干時安政五戌午年七月吉日」と記されています。なお、この時の再建は従来と比較して再建間の期間が特に短いです。その理由として、安政元(1854)年11月5日七ツ半(午後3時)に突発した安政の大地震を考えなければなりません。

さらに、18年後の明治10(1877)年には薬師堂を瓦葺にしています。薬師堂は、「奉再薬師如来堂屋根建立」とし、裏に「明治十丑年旧二月八日伊野村大工吉良……」としています。

安政5年の堂宇再興から数えて、111年後の昭和35(1960)年に堂宇の修繕がなされます。棟札裏に「バイ(薬師の種子)奉修堂宇修繕……」と墨書され、裏に、「干時昭和丗五年三月七日 本願寺然空法玉代……」と記される。この段階になると別当も伊野町の本願寺に移されます。また、昭和63(1988)年には再び修復されます。棟札の裏に「バイ(薬師の種子)奉修薬師如来堂修復成就攸」とし、裏には「干時昭和六十三年六月吉日 和光山本願寺浄空法念代……」となっています。特に昭和20年代以降は文化財に対する関心が一般に深くなり、堂宇のごときも全く新しく再建されることがなく、修理に修理をかさねていることがわかります。

薬師堂建立・修復
(亨保三年)
表(左)と裏(右)

薬師堂建立・修復
(宝暦十三年)
表(左)と裏(右)

薬師堂建立・修復
(文政十年)
表(左)と裏(右)

薬師堂建立・修復
(安政五年)
表(左)と裏(右)

薬師堂建立・修復
(安政五年)その1
表(左)と裏(右)

薬師堂建立・修復
(安政五年)その2
表(左)と裏(右)

薬師堂建立・修復
(明治十年)
表(左)と裏(右)

薬師堂建立・修復
(昭和三十五年)
表(左)と裏(右)

薬師堂建立・修復
(昭和六十三年)
表(右)と裏(左)

3.薬師供養会の棟札 1枚

天明9(1789)年の年号を記す薬師供養会の特別の棟札が1枚ある。この棟札は先に紹介した棟札と異なって、仏事、そして特に「村中安隠五穀成就」を祈念しています。このような仏事をなした背景に、天明3(1783)年、天明4(1784)年、5~6年と長雨による諸作不能という天災に見舞われたことがあげられます。このような状況を脱出するため楠瀬六右衛門は薬師如来の供養会を藩の役人飯沼某と相談して行ったものとみられます。

薬師供養会(天明九年)
表(左)と裏(右)

4.祈祷札 1枚

大きさは棟札と変わらず、表裏とも紀年銘はありません。
大魔降伏の祈祷をした時の札であり、薬師の祈祷で大魔とは病気を示しています。
祈祷の年号はわかりませんが、その文面の文字等から文政10年の棟札に近く、それ以降のものとみられ、1830年代の天保年間のものと考えられます。実は、天保年間には枝川村の隣村鏡村では癈瘡が大流行している記録があるため、枝川村でも流行したと思われるからです。その時の病気退散の祈祷札とみられます。

病魔退散の祈祷札
表(左)と裏(右)


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