木の根三里
木の根三里
国道194号線(左)と木の根三里(対岸)
- 所在地
- いの町戸中
- 所有者
- いの町
- 指定日
- 昭和57(1982)年8月1日
近世期の西条街道の一部。
かつての西条街道の近道で木の根龍骨のごとく、懸崖打ち続いた険路は今では湖底に沈んでいます。
明治39(1906)年測図、同41(1908)年製版の国土地理院の地図では、葛原登川橋を渡って、大橋ダムの湖底に沈んだ吉野川北岸沿いに約2.0㎞上流で端を渡り、南岸新道木の根三里に接続しています。渡河地点までの道幅は1.0m以上、木の根三里は1.0m未満の歩道です。
この明治39年測図よりおよそ30年前の、明治6(1873)年地租法改正に伴って全国的に実施された地籍図が、旧本川村にも保存されています。この地籍図にも登川橋から北岸沿いに示された道は、やがて対岸に渡り木の根三里に接続しています。従って、登川橋~木の根三里の道は明治初年には通じていたことが明らかとなります。
稲叢山(1506.11m)の東南麓に位置するいの町戸中地区は、昔は内番所のあった吾川郡清水方面に通ずる街道筋にあり村の要所でもありましたが、下流の脇ノ山より通ずる山道はうっそうと繁る原生林の中をくぐる往年の地域の生活道として一般の交通要路でもありました。木の根が大きくはりだし、岩場、崖の丸太橋など難所が多く、当時往来する人により「木の根三里」と云う名称が残されたのです。
本川郷風土記に「段々と申所此所本川郷往来之道滝のわだ越木の根岩などに取付き往来仕り候」などとあり、いかに難所の多い山道であったか往時の人の姿がしのばれ「木の根三里」の表現が理解できます。現在はダム建設により山道はほとんど湖底にあります。
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