伝安芸三郎左衛門墓地及び板卒塔婆形五輪塔

伝安芸でんあき三郎さぶろう左衛門ざえもん墓地及ぼちおよいた卒塔婆形そとばがた五輪塔ごりんとう

所在地
いの町成山
所有者
安芸元清
員数
1
指定日
昭和48(1973)年6月28日

成山仏ヶ峠の東下約300m、堂の前に安芸三郎左衛門の墓と伝えられる板卒塔婆形五輪塔の立つ、古い墓地があります。

安芸三郎左衛門は安芸家の系図によると戦国時代の安芸城主国虎の第二子であります。彼は幼名を鉄之助と言い、成長後成山村横藪に隠棲中の波川玄蕃清宗の後室養甫のもとに身を寄せて製紙の研究をなし“七色紙”の創製に成功しました。

後、山内氏土佐入国に際し自製の七色紙を献上し、その功により給田一町歩と幡多郡代官役並に御用紙方役に任命されました。これによりいよいよ製紙に力をそそぎ以後製紙は土佐の国産として特別の保護を受けることになり著しく発展していきました。よって三郎左衛門は“土佐和紙中興の祖”として仰がれ、寛永11(1634)年73歳で没したのです。

大正8(1919)年、政府より勧業殖産の功により従五位を追贈されました。

板卒塔婆形五輪塔は、供養追善に建てられたもので、基壇の高さ36.0㎝、その上に砂岩製の高さ136.0㎝、下幅44.5㎝、厚さ14.5㎝、頭部は三角形、全体の形は将棋のこまを細長くしたようなものにつくられています。

碑の表面平たいところに五輪塔とその五つの輪に“キ・ヤ・カ・ラ・バ・ア”の種子その他が線刻されています。

建立は寛永14(1637)年のもので、この地方の中世末から近世初頭の墓制を知る上に貴重な資料と言えましょう。


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