白花センダン
白花センダン
- 取材地
- いの町神谷小中学校校庭
- 所有者
- いの町
- 員数
- 1
- 指定日
- 昭和43(1968)年1月15日
神谷小中学校の“白花センダン”は県内的にも珍しく、往年牧野富太郎博士が、これを見て、高知県下の名木集に収録されました。「若木は他にみることができるが、これ程古い時代のものはかつてみたことがない」との讃辞を得、折り紙をつけられました。
普通、センダンは薄紫色の花を咲かせますが、このセンダンの花は白く、しかも巨樹古木であり、数が少なく珍種とされています。
幹の周りは2.35m、樹高は15.0m、樹齢は150~170年と推定されています。
この木の由来については、藩政の末期神谷村の庄屋、柳瀬喜五郎が自宅の庄屋屋敷内に植えたといわれています。当時、センダンは草根、木皮が薬用として使用されていましたので、柳瀬庄屋は郷民を病気から守るためと庭木観賞のために植えたものと伝えられています。柳瀬喜五郎は温厚(おんこう)篤実(とくじつ)で、常に郷民の生活安泰を考え、また一方、産業奨励、和紙製造の発展に力を尽くすなど名庄屋として知られていました。明治となり、教育が義務制となって神谷に小学校が設置されることになりますと、柳瀬庄屋の屋敷が適地として小学校が建てられました。センダンもその時校庭の一部にあったのですが、名木であるのと、柳瀬庄屋の遺徳を讃えるために残したといわれています。
以来“白花センダン”は、長い歳月風雪に耐え、幾多の児童を送迎してきましたが、次第に幹の根元は異様に変形し、見るからに古樹という感じがしてきました。
最近まで2本あった樹でしたが、昭和57(1982)年9月の台風で1本は根こそぎ倒れ、1本だけになってしまいました。残った樹は樹勢も旺盛で、枝を四方へ張り、毎年新葉も多くつけ、夏になると大きな木に白い花がいっぱい咲きます。貴重な一本ですので大切に保存しなければなりません。