伊野町枝川古墳群1号墳
伊野町枝川古墳群1号墳
- 所在地
- いの町枝川
- 所有者
- 水田春梅
- 員数
- 1基
- 指定日
- 昭和41(1966)年11月29日
枝川琴平山の南斜面に開口する3基の古墳を“枝川古墳群”と称し、東端から西へ順に1号墳、2号墳、3号墳と名付けられています。3基共、古墳時代の後期(約1.300年前)のもので宇治川流域にあたった集落の豪族の墓と考えられます。
1号墳は枝川字石ヶ崎、前枝川小学校跡より東方100mの国道北側にあり、横穴式石室を持つ小円墳という典型的な構造様式であります。
昭和41年に発掘しましたが、相当以前から開口していたもので、遺骸を安置している玄室とよばれる奥の部屋の真上の石は道の上にずり落ち、その前部の通路になる羨道は道路を付ける時に一部切り取られた形跡があります。また、玄室には相当多くの土砂が堆積をして石室の状態がはっきりしなかったのです。
マウンドとよばれる墳丘は、大体原形をとどめておりますが、玄室奥壁上部と、玄室附近はそれぞれの道の拡張と墓地施設のため、多少削り取られているのが残念です。
玄室の長さは3.2m、幅は最大部玄門付近で1.48m、奥壁で1.2mあり奥壁に向かってやや狭くなっています。玄室内では奥壁幅の2.5倍の石室の長さをもっています。
羨道は一部切り取られており、現存部で長さは1.2m、幅1m、高さは1.6m(床面より奥壁天井まで)となっております。
1号墳は主軸を北西に向けていますので従って、羨門は南東に開口していることになります。
石室内の石は枝川付近によくころがっている珪質砂岩の割り石を積み上げて造ったもので、一番大きな坐りのよい意志を下にしてから次から次第に石を小さくし、がっちりと築きあけられています。
奥壁の最下部には大きな一枚石を置き上段にいくにつれて小さくする側壁に奥壁をはさむ形で石室は造られています。石積は四段積です。また天井石には大きな石で玄室内を4枚の石で覆ってできています。