大内花取太刀踊
大内花取太刀踊
- 所在地
- 吉良丈夫
- 指定日
- 昭和40(1965)年4月5日
“大内の太刀踊”は歴史的にも古く、県下でも太刀踊は方々で見られますが、踊りの内容からいっても、歴史的にいっても、最も名高く、誇りとしています。
藩政時代の、今から約290年前に東宝院という山伏が大内村へ来て太刀踊を教えました(現在、東宝院の墓が大内に残っています)。当時、大内地区は稲作、雑穀が黒虫の被害で数年間にわたって収穫が少なく困っていました。そこで太刀踊をはじめると、不思議にも被害が少なくなったので、それから毎年踊をするようになりました。
以来、大内村の4つの神社(大元神社、光宜神社、王子神社、天満宮)の祭日にこの踊は行われ、吉良家が代々踊を継承して今日に至っています。
踊は大きく分けて三種類からなっており、鼓踊、太刀踊、花取踊です。
鼓踊は、鉦、団扇、太鼓と一緒に踊り「入羽」「御門」「掛(かけ)足(ざい)」「ねぎの」等の曲目があります。
太刀踊は、鉦、太鼓と2人1組となって刀をもって踊「忠臣蔵」「鎌倉」「羅生門」「清盛」などの曲目があります。
花取踊は、鉦、太鼓と他に2人1組で紙の「フサ」を持ち、一方は真刀でこの「フサ」を切る踊で、いずれも唄、鉦、太鼓に合わせて踊ます。この踊の特徴は刀を首に卷いての踊りで、相当の技術を要します。
2種類の踊はいずれも踊として難しく、刀をぬいての踊ですから、一層の華麗さがあります。
昭和57年度において、この踊りは、県の代表の踊となって、中国、四国民俗芸能大会に出場披露し、また県下の民俗芸能大会にも出場しました。
現在は活動休止中です。
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