吉井源太翁居宅付表門「薬医門」

吉井源太翁よしいげんたおう居宅付表門きょたくつきおもてもん薬医門やくいもん

所在地
いの町
所有者
いの町
員数
1
指定日
昭和39(1964)年10月15日
居宅
木造平家建 一部ツシ2階付
屋根棧瓦葺 1棟
建坪 129.15㎡(35.8坪)
延142.9㎡ (43.3坪)
付表門
木造薬医門引戸付屋根棧瓦葺一棟

前掲、吉井源太翁生誕地上建物で、伊野小学校の北、約100mにあります。翁が壮年の頃に再建したものと伝えられていますが、資料がなく判りません。南側東端に4畳半の客間があり、西向きに床をつけ、その西側に3畳の次の間をおき、それらの南に濡縁を出しています。

客間、次の間の北側は12畳の広間であって、北側に押入れ二間と床の間があります。次の間の西側に玄関と式台3畳の間をおきその北に2畳の間と折廻りの廊下、その北に四畳半の奥の間を取っています。

玄関の西側の南の大部分は広い土間で、これは作業場、つまり翁の研究室でもあったようで、その北に4畳半に相当する板敷きの茶の間を取り、その西に広い土間(旧釜屋)をつけています。

なお、ツシ2階に梯子段を掛けて登る所が奥にあり、板敷になっています。

建物の間取り、材料の古さ、柱、長押、天井等の形式から見て翁壮年の頃、つまり幕末から明治初年の頃に再建せられたものと考えられ、玄関廻り、建具等において近年手を加えた跡が見られますが、よく当初の建物の旧態を遺しています。

また表門は敷地の東南の隅に構えられた門であって、桁行2.73m、1.8mの二枚引きの板戸をつけた入口と板戸引きこみの部分は、0.9mの“板はめ”があって両端の柱には後方にそれぞれ扣柱を建てています。

建立年代は明らかではありませんが、棟束、肘木の彫刻、材料の古さなどからみて、居宅と同時に建築されたものと考えられます。

翁、居住の時代からその位置は変っておらず、かつ彫刻をつけた門は格式のある民家の正門の遺構として貴重であります。


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