濵田幸雄
濵田幸雄
- 所在地
- いの町神谷
- 指定日
- 平成13(2001)年7月12日
土佐典具帖紙は、極めて薄く、かつ強靭(きょうじん)な楮(こうぞ)和紙の製作技術であります。中世に美濃国で漉(す)かれていた典具帖(天宮上、天狗状、天郡上などとも記す)の技術が、明治初期に高知県に導入されて発達しました。土佐典具帖紙はタイプライター原紙として大量に輸出されるほどに発展し、比類のない極薄紙として知られるようになりますが、昭和30年以降、機械漉の典具帖紙に普及に押され手漉の需要が減少したため技術者も減少する中で、極めてわずかな需要に支えられ、伝統的な技術が現在まで伝承されてきました。
伝統的な土佐典具帖紙の製作には、高知県仁淀川流域で生産される良質の楮を原料とし、消石灰で煮熟した後、極めて入念な除(じょ)塵(じん)や小振洗浄を行い、不純物を消去して用います。トロロアオイのネリを十分にきかせた流漉(ながしすき)で、抄紙(しょうし)の工程では、渋引きの絹紗を張った竹簀(たけず)及び楮製漆塗の桁を使用し、簀(ず)桁(けた)を激しく揺り動かして素早く漉き、楮の繊維を薄く絡み合わせます。漉き上がった紙は「カゲロウの羽」と称されるほど薄く、繊維が均一に絡み合って美しく、かつ強靭であります。
土佐典具帖紙は、手漉き和紙の流漉技術の粋ともいうべきものであり、芸術上価値が高く、工芸史上重要な地位を占め、かつ、地方的特色が顕著な工芸技術です。
濵田幸雄さんは、昭和21(1946)年から父、濵田秋(あき)吾(ご)さんに師事して伝統的な土佐典具帖紙の製作技法を習得し、同24(1949)年に独立。以来、技術の練磨向上に励み、妻・節子さんの協力を得て土佐典具帖紙一筋に製作を続け、現在に至ります。同人は、伝統技法を深く研究してその長所を守り、優れた典具帖紙を漉くことに専念してきた唯一の現役の技術者であり、伝統的な土佐典具帖紙の製作技法を高度に体得し、かつ、これに精通しています。
人間国宝・濵田幸雄氏 略歴
- 昭和6年
- 2月17日生まれ
- 昭和21年
- 父・濵田秋吾に師事
- 同24年
- 独立し、技術の練磨向上に努める
- 同47年
- 土佐典具帖紙保存会会員
- 同年
- 第8回キワニス文化賞を他の5人の技術者とともに受賞
- 同48年
- 「土佐典具帖紙」が記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選択され、土佐典具帖紙保存会が関係技芸者の団体として指名される
- 同52年
- 伝統工芸士(経済産業大臣指定伝統的工芸品「土佐和紙」)
- 同55年
- 「土佐和紙(土佐典具帖紙・土佐清帳紙・須崎半紙・狩山障子紙・土佐薄様雁皮紙)」が高知県保護無形文化財に指定され同人が所属する土佐和紙技術保存会が保持団体に認定される。
- 平成3年
- 労働大臣表彰(卓越した技能者)
- 同5年
- 勲六等瑞宝章
- 同7年
- 土佐和紙工芸村で研修生の指導に携わる(~同9年)
- 同9年
- 孫・濵田洋直に土佐典具帖紙の製作技術を指導
- 同13年
- 土佐典具帖紙で人間国宝
- 同23年
- 4月29日旭日小綬章