伊野町枝川3号古墳付一括出土遺物

伊野町枝川いのちょうえだがわ3ごう古墳付こふんつき一括いっかつ出土しゅつど遺物いぶつ

所在地
東浦
所有者
刈谷登亀義
指定日
昭和50(1975)年3月3日

三号墳は旧消防学校東側の小高い丘の上、枝川忠魂墓地前にあり、横穴式石室墳です。
枝川古墳群は南国市船岩古墳群、高知市高間原古墳群等に比べれば小規模ではありますが、1つの古墳群を作っていることは意義深い事であります。
この時代は、農民層のなかで古墳を築造し得るようになった家父長的家族の墓で、葬られていた人はその中の戸主を中心と直系の家族ぐらいのものではなかったかと推定されています。
古墳の形態は、一号、二号墳と同じように盛り土をした円墳であったらしいのですが、長い歳月の間に、その外形である盛土がなくなってしまって、屋根である平たい石とわずかに土が盛られただけになっています。
内部は羨道の一部が前面に道をつくられたため、少し取り変えられています。
石はかなり大きなものを基にして、安定した築き方で上になるにつれてだんだんと小さな石を組み合わせていますが、力の配分はよく均衡を保って長い年月の地震、台風等にもびくともせず今日に至り、当時の古代人の知恵には驚かされます。
出土品には、須恵器が数点と腐食が激しく原形が不明の刀の“つか”と思われる鉄器が1点発見されました。
床面に栗石程度の石を6個組み合わせた石組が発見され、更に下を掘り続けましたが何も得られませんでした。


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