王子神社の棟札類

王子おうじ神社じんじゃむな札類ふだるい

所在地
いの町八田
所有者
王子神社
員数
4
指定日
平成10(1998)年4月1日

1.宝暦5(1755)年の棟札

頭部三角形状をなし、全長89.1㎝、隅切は表の左下にあります。

明治元年の神仏分離令によって、棟札の文の一部、特に仏教とかかわりの深い文字は削られています。□の部分は削られた文字です。□内に入れた文字は、筆者岡本健児が推考して本来存した文字を入れたものになります。

 

棟札の裏は次のようになっています。まず上段の「裏」という文字は、神仏分離令発布以後、本棟札の上段の五行にわたる仏語を削り去った後に書かれたとみてよいでしょう。他の文字と書き方も違い、削り取られた仏語のあった部分と重なっているのが理由です。その下中央に「宝暦五年六月」の年月を記している、この年月の下部に神主名として「神主室巻清太夫」が書かれているが、目では見ることができるが写真では消えています。またその右側に「八田村庄屋三谷興与兵衛 同し代 池 助八 老滝沢孫八郎」が書かれています。

2.安永4(1775)年の棟札

頭部三角形状をなす。全長72.6㎝、表左下に隅切を持つ。表の部分で文字が削り取られたのは、「権現」の二文字です。庄屋は森吉次郎となっています。息災延命の炎の字を一方に寄せ小文字で記しているのは、災をさけるためのものであります。

3.文化元(1804)年の棟札

頭部は三角形状をなすが、隅切を持ちません。全長90.7㎝。「権現」の二文字を削っています。庄屋の庄が「荘」となっています。裏面の削りはありません。

4.弘化2(1845)年の棟札

全長75.7㎝。隅切をもちません。頭部は三角形状をなします。神仏分離令によって、棟札の文で削り取られたものは「権現」の二文字です。裏面は削られていません。庄屋が荘屋となり、千頭唐五郎がそれであります。なお「山内家十三代豊(とよてる)」が誤って「豊照」になっています。裏面は、弘化二年己(み)が誤字で正式な巳とは異なります。

1755年より以前の棟札が残存しないのは、古くなり虫食い等の被害もあるが、特に八田では17世紀後半から18世紀前半の集中的洪水も棟札の残存しない理由の一つと考えてよいです。(寛文6、延宝元、貞享2・4、元禄元・15、享保6・14、元文4、寛延3年の洪水)
(伊野史談 第45号「八田若宮八幡宮と王子神社の棟札」岡本健児著より抜粋)


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