鷹ノ巣山遺跡

たか巣山すやま遺跡いせき

所在地
いの町越裏門
所有者
国有他
指定日
昭和57(1982)年8月1日

鷹ノ巣山遺跡は、旧本川村越裏門鷹ノ巣山44林班は小班と呼ばれる国有林内にある遺跡です。この遺跡は昭和23(1948)年に国有林内の植林時に数個の弥生土器が岩に立てかけたような状態で発見されました。発見されてから20年以上ののち、昭和47(1972)年10月に文部省の科学研究費を受けて発掘調査を実施しています。

遺跡は結晶片岩の大露頭があり、土器が発見された所から、数メートル離れた所に大きな岩塊が落ちていましたが、この岩塊と結晶片岩の大露頭の間には、10~20㎝の隙間があり、15~16片の弥生土器片が出土。また、この遺跡は標高1,150mの場所にありますが、これは弥生時代の遺跡のある場所としては、西日本第一の高さにある遺跡となります。

鷹ノ巣山遺跡から発見されている弥生土器は、その全てが甕形です。その土器は煮炊き用の甕形土器のみ。このことから鷹ノ巣山の遺跡は、食料の貯蔵を必要とせず、ただ食料の調理だけを必要とした遺跡と考えられます。出土の土器のなかに、あまり使用されていない土器を含んでいることから、何回もこの土器を使って煮炊きせずに、弥生人は立去ったことを物語っています。

遺跡の近くには、結晶片岩でできた小さな岩陰がいくつもあります。この岩陰に入って横になると、雨や露を防ぐことができるだけでなく、一日や二日の宿として恰好の場所になっています。

弥生人が時たまやって来て、そのねぐらにする遺跡、そして非常に標高の高い場所にある遺跡、しかも近くに一年中水の絶えない谷川のある遺跡、さらに少し上の方に登れば山の尾根に行くことのできる遺跡という条件が兼ね備えていれば、これは弥生人のキャンプ地と考えざるを得ません。

しかもこのように標高の高いキャンプ地は、弥生時代であれば狩人のものとしなければなりません。弥生時代の中期末ごろから、四国では狩猟を専業とする人たちが、わずかであるが生まれてきています。この狩猟を専業とした人たちは、四国山地のまっただなかにも、時には遠出したと考えられます。鷹ノ巣山遺跡はこの遠出した人たちのキャンプ地とみてよいでしょう。


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