土佐典具帖紙

土佐典具帖紙とさてんぐじょうし

所在地
いの町神谷
所有者
土佐典具帖紙技術者会
指定日
昭和48(1973)年11月30日

土佐典具帖紙は手漉き和紙の流漉技術の粋というべき、伝統的な典具帖紙の技術を継承し、均一に極めて薄く、かつ強靭で繊維が整然とからみ合い、地合いが美しく、手漉和紙の最高級品で、世界の手漉紙としてこれに並ぶものがありません。

しかし、近年需要の減少により技術者は激減し、現在のいの町神谷を中心として、土佐典具帖紙技術者会の技術者により保存されているのみとなり、手漉和紙技術史上貴重なものとして、無形文化財として指定し、保護措置をとっています。

典具帖紙は、中世(享禄年間1528~1532)、岐阜県 郡上で抄紙され、郡上より出した上等の紙で天印をつけ、天郡上、天狗城などの名称が生まれ、江戸時代より典具帖に定まった楮薄紙です。この典具帖紙が明治13(1880)年吉井源太翁によって土佐にその技術が移入され、海外に大量に輸出されるほどに発展しました。土佐典具帖紙の全盛期には、旧伊野町、日高村などで業者数が約200戸もありましたが、現在数名の技術者で保存されるのみとなりました。

土佐典具帖紙は、高知県仁淀川流域に厳選された良質の赤楮を用い、煮熟、水洗、除塵、叩解、小振洗條の各工程において極めて入念な作業が行われます。抄造は、高級な用具を用い、漉き手によって力強く操作され、繊細な繊維素束の付着も許しません。とろろあおいの粘液を多量に入れ、粘液で簀から水を漏れにくくし勢いよく簀を揺り動かして、楮の長い繊維を薄くからみ合わせます。このようにしてけばだたず、折りたたんでも切れない強い腰、紙に細かい気孔があり、薬品液が内部まで浸透してかつ破れず、丈夫であるなどの特徴が生まれます。

用途は、高級なタイプ原紙が大半でしたが、現在は画家の下図のすき写し、工芸品の製作、文化財の修理等に不可欠です。


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