ウ飼い技術

技術ぎじゅつ

技術保持者
畠山 忠章
生年月日
明治35(1902)年4月7日
現職(当時)
伊野町仁淀観光協会 ウ匠
指定日
昭和43(1968)年5月29日
解除日
昭和53(1978)年7月12日

(以下、昭和46(1971)年3月発刊「伊野町の文化財(第一集)」より)

(『畠山氏は、資性温厚で、稀にみる円満な人柄である。能津尋常高等小学を卒業後家事の製紙業に従事していましたが、アユ突きの名人と言われるほど川漁が好きであった。ある日、ウを使って魚を獲る人を見かけ(当時は一羽使いの離し獲りでした)、負けず嫌いの畠山青年は、ウの先回りをして突きまくった。ところが自分はさらえたはずの淵から、ウが何尾もアユを食い上げるのを見て「人間の目は、到底ウの目に及ばない」と悟り、それよりウ飼いの難しい特殊な漁法に魅惑され、それ以来43年間ウと語り、ウと一体となって、ウ飼いに明け暮れたことはまことに驚歎に値するものである。

(昭和35(1960)年6月、伊野町仁淀観光協会が「ウ飼い」観光を開始するや、ウ匠としてのその卓越した技術を充分に発揮し、荒ウ鳥の調教から操作まで一切を引き受け、また独特な話術により宣伝につとめ「仁淀川のウ飼い」を県下はもちろん、全国的にその名声を博しつつあるとは、畠山氏の功績によるところまことに顕著である。

(また昭和30(1955)年には愛媛県大洲市が、「ウ飼い観光」を計画した際には、招へいされその秘法を伝授し、「大洲のウ飼い」が今日あるは、畠山氏の業績によるところ大であることは論をまたないものである。

(全国各地に数多いウ匠の中で、操作、技術とも畠山ウ匠は、絶対に他の追随を許さず、「ウ飼い」に生涯を捧げつつあることは、人間業とは思われず、「ウ飼いの畠山」の名は仁淀の清流と共につきないであろう。

(ここに全国的にも稀にみる畠山ウ匠の技術を保存したいものである。』

(ウ匠として卓越した技術は全国的であり、40数年間にわたりウと一体となり、畠山氏はウ飼いに生涯をささげました。昭和53(1978)年7月12日、技術保持者死亡により解除。


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