津賀谷獅子舞

津賀つがのたに獅子舞ししまい

所在地
いの町上八川津賀谷(八所川内神社)
所有者
津賀谷獅子舞保存会
指定日
昭和44(1969)年8月8日

オソゴエから2㎞ほど川をさかのぼると、津賀谷集落に至ります。上八川では比較的広域にわたって集落を構成し、棚田も多いところです。棚田のほぼ中央に位置するところに川内神社があり、神社には昔から伝統文化財として獅子舞が残っています。

津賀谷獅子舞は、旧吾北村上八川津賀谷の八所川内神社に奉納してきたものです。その起こりはいつごろか、確かなことは分かっていませんが、だいたい180年くらい前の文化文政のころ(1804~1830)にすでに津賀谷にあったことは古老の話でわかっています。この獅子舞は庶民の繁栄と五穀の豊穣を祈願した大神楽として氏神に奉納してきたもので、氏神様の御神幸には必ずお供をしたものです。

なお、この獅子舞は、大正6年(1917)に高知市の藤並神社の招きにより、その境内で奉納されました。その時、山内邸(山内侯爵家)に招かれ、その前庭でもこの舞を披露しました。

以後この獅子舞も、太平洋戦争の前後から長い間絶えていましたが、古くから伝わって来た獅子舞の消え去ることを憂え、昭和41(1966)年10月、津賀谷部落に保存会を設立して保存につとめることとなりました。昭和44年8月8日、高知県文化財として指定されました。

この舞いのあらましは次のとおりです。

童子が獅子をからかう。女の子が傘をもって踊る。獅子は女の子をくわえようとする。女の子は傘で抵抗するが、結局傘をとられ、獅子の餌食となる。そこに居た他の男の子が仇をとろうとするが、力が足らずに二人とも獅子の餌食にされそうになる。その危ういところに忽然(こつぜん)と神の使者が、ご幣(へい)をもって現れると、猛りたっていた獅子は静まり、地に伏して、寝てしまう。その時神の使者は刀をぬき、獅子の腹を素早く裂いて食われていた童子を救出し、獅子を退治する。


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