いの町、町指定文化財、椙本神社御神幸及び古代神事の本文へ
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町指定文化財


椙本すぎもと神社じんじゃ御神幸ごしんこうおよ古代こだい神事しんじ

所在地
いの町
所有者
椙本神社 宮司 杉本瑞井
員数
1
指定日
平成元(1989)年2月9日

椙本神社は、「いのの大国さま」と言われ、土佐の三大祭りの一社です。

11月22日、秋の大祭の際、古式に則り御神幸祭(おなばれ)は行われます。その由来はいつ始まったか不詳ですが、椙本神社の祭祀の最初を奈良時代と伝えるので、御神幸祭も古い年代と推定できます。

寛文6(1666)年の仁淀川に大洪水があり、神社前の堤防が決壊して境内に奔流したとき、神社の古記類を流失しています。故に実証はできませんが、隣接の小村神社は天平宝子3(759)年にお船遊びの記録を残し、土佐神社も浦内の鳴無(おとなし)神社に船遊びを伝えているので、古代の神々の祭りは豊作を祈る庶民の信仰が、稲作農耕と水の祭典になり、お船遊びの形式になったとみられます。

椙本神社の御神幸祭について、神主・杉本瑞井氏は「椙本神社誌」の中で「弘長3(1263)年に新たに建立された神輿は地方としては最も古いものであったと思われる」とあり、また「神輿を奉献された弘長3年あたりから、いわゆるおなばれの神幸行事があったと速断もできない。それ以前に『神迎え』、あるいは『神送り』の行事があったとすれば、榊に鏡をつけた幣を馬の背につけて、御旅所の聖なる地から神霊を迎える簡素な神幸行事であったであろう」とあり、古代の神幸祭の通常な状況を述べています。

神輿を造営した弘長3年から17年後の弘安3(1280)年に椙本神社が波川の河原に神幸した記録があります。御座船を中心にして波川の河原に渡河する神幸祭りはその後も連綿と続いたと思われますが、どの年代に現在の場所に変更したのか、その年代も理由も不詳です。伝承では伊予国で祭祀されていた御神体が、ある年の洪水にミノに包まれて流れ着いた場所が、今のお旅所だと言われてきました。ともかく、場所に変化があっても秋期大祭の行事や神輿の行列形式は、長い伝統を守り続けて現在にいたります。

渡御する道筋は、往路は、「大国町、西町、元町、本町、大和町、新町、伊野駅前、天神町、御旅所」で、還路は、「堤防、天神町四丁目、踏切、幸町、西町、大国町」です。


 

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