いの町、町指定文化財、吉井源太翁誕生地の本文へ
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町指定文化財


吉井源太翁誕生地よしいげんたおうたんじょうち
所在地
いの町3280-1
所有者
いの町
指定日
昭和39(1964)年10月15日

近代産業史を飾る“土佐和紙”のメッカ伊野町の生んだ偉大なる先覚者に“吉井源太翁”があります。翁の生誕地は現いの町加茂で1309.0u(396坪)、ここに文政9(1826)年3月1日、呱呱の声をあげ幼名を徳一郎と言いました。幼少の頃より製紙の家業に励み、長ずるに従って抄紙の科学的根拠を基盤とした独創性と和紙に対する情熱とによって土佐和紙の改良、増産、技術の向上に努めました。

和紙品種の研究開発はもとよりのこと、抄紙機の発明、販路の拡張、充実に力をそそぐとともに、広く全国を行脚して各地の製紙業の指導にあたり普及してきました。

明治41(1908)年1月10日に伊野町において83歳の生涯を閉じました。実に翁は“紙の伊野町”の基礎をつくられたばかりでなく、県をはじめ日本にとって和紙業界の大功労者であります。ここがその源太翁が生れ、育ち、学び、紙業を習得し辛酸をなめて幾多の功績を遺した終焉の地であります。

参考までに翁の功績を記した頌徳碑等を挙げますと、

(1)
昭和42年10月18日、高知市旭町県紙業試験場内に翁の頌徳碑(上田清志氏撰文)が建立されています。
(2)
昭和54年度の“土佐の人物顕彰事業”において、県の助成を得て翁の生家と、墓所に顕彰板が建てられました。 なお撰文は郷土史家横川末吉氏で全文(生家)は次のとおりです。
「“紙の伊野町”の恩人、高知県紙業界の功労者吉井源太翁は、文政9(1826)年3月1日此地に生れた。祖父源太、父太平、家は代々土佐藩御用紙漉、翁は少壮深く製紙技術の低能率に人びとの苦しむを嘆き、鋭意工夫を重ねて万延元年(1860)大型の簀(す)、桁(けた)を発明、一挙に生産力を倍増させた。明治維新後の自由経済下翁は水を得た魚の如く活躍し、発明につぐ発明によって、新製品の抄出に成功、“紙の伊野町”の基礎は確立し、土佐紙日本征覇は達成された。功により明治27年緑綬褒賞を授けられた。翁はまた半仙と号し、日本画、俳諧にも通ぜられた。翁が此地に天寿を完うされたのは、明治41年1月10日、翁83歳であった。」
なお翁の残された諸記録等は現在、紙の博物館で保管、一部展示されています。

 

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